では早速、当WEBサイトの開発経緯を説明しよう。
だがその前に、注意事項だ。
このサイトは「HG正楷書体-PRO」のフォントが入ったパソコンで見たときに最適化されるよう設計されている。
ウィンドウサイズを半分にしたり200%表示にしたりすると小気味良い表示になるようにもしている。
したがって、スマホで見ることはオススメしない。スマホ用のCSSは面倒でまだ作っていないのだ。ご了承いただきたい。
さて、私はこれまでTwitterにて「ガイハラス」の名を用いて、感情や思慮を吐露してきた。
この時代において、匿名で己を表現することは大変ありふれた行為だ。他人と違おうとしがちな私であっても、その点に関しては許容していた。
しかしある時、私は大きな疑問に衝突した。
「ガイハラス」の名で表現した言葉は果たして私の言葉と言えるだろうか、と。つまり、ガイハラスは佐藤晃亮なのか?と。
呟く瞬間の私は、私の、佐藤晃亮の中から生まれた言葉を佐藤晃亮の言葉であると確信していた。 だが世に放たれた直後から、その言葉はガイハラスの言葉として存在し始めているのである。私にとっても、他人にとってもそれは、ガイハラスの言葉として画面に映っているのだ。
私はこの事実に、私の”不在”を感じた。
私はこの世に漏れ出たガイハラスの発言を、私の言葉であると証明できないのである。なぜなら私は佐藤晃亮だから。
他人がその発言を誰の何と解釈しようが知ったことではないが、私が私「だったもの」を「だったもの」として認識せざるを得ないことは即ち、
”佐藤晃亮”の存在否定なのである。己に嘘をついているとも言い換えられるだろう。
高校時代から自分研究を生業にして(こんな得体の知れない奴になってしまって)いる私にとっては由々しき事態であり、
一刻も早く改善すべきだと考えた。
それの第一次回答が『ココ』だ。
であるならば、実名使用を基本とするfacebookを稼働させればいいじゃないか(大昔にアカウントだけ作って放置しているのだし)、との考えも当然浮上した。 だが一夜にして水底に沈んだ。原因は、私の創作魂である。
私は他人のインターフェースが嫌いだ。
具体例をいくつか挙げよう。
「「昨年度の私は、マイナンバーカードでも作ってみようかなどと考え、スマホで自分の顔写真を撮ってみることにした。
中々納得がいかず人生最多自撮りとなった。カメラロールは私の顔でいっぱいだ。
あるとき、何でもないようなことを呟こうとTwitterを開いた。当時は公式クライアントを使っていた。
すると入力欄とキーボードの間に、最新画像のサムネイル表示の恩恵を受けた私の顔写真がこれでもかと挟まれているじゃないか。
私は無数の過去の私に睨まれながら何でもないようなことを呟くハメになってしまった。Twitterは過去の私に監視される危険なツールなのだ。」」
「「アプリケーション開発企業は日々アプリの更新に明け暮れている。Twitter社もその一つだ。
無数の更新事象の中には、使途不明の物も多く見受けられる。
例えばgifボタンだ。ある日から急に、またしても入力欄とキーボードの間に、それは姿を現した。
しかもこいつは、磁力かなんか知らんが目に見えない力によって誤タッチを誘発する代物だ。
そして私は尽く、何でもないようなことを呟こうとするたびに、誰だか知らない外国の人がする何だかよく分からない数秒の動きを、延々見せられそうになるのである。
Twitter社はこの画面中央の空間の開発に心血を注いでいるに違いない。」」
以上のように、具体例を挙げればキリがない。他人の作ったユーザーインターフェースは所詮、他人のインターフェースでしかない。
私一人のために最適化してくれるはずがないのだ。facebookのインターフェースはとりわけ設定画面が嫌いだ。
そこで私は閃いた。だったら私が私のためのインターフェースを持った私のためのWebアプリを作ればいいじゃないかと、創作魂に火が付いたのである。
それが『ココ』だ。
ああそうなのだ。
このサイトは本来、時間をかけてWebアプリの作り方を学んだ上で、何年後かにしっかりとシステム構築された状態で、Webアプリとして公開されるはずだったんだよ。
しかしどうだいこの有様は。現状の私はHTMLとCSSの基礎を学んだ程度であり、全くロクでもないレイアウトであることは、iframeの多用から察せられるだろう。
唯一のジャバスクリプトである、データ下の”更新ボタン”も使いづらいだろうと思う。押すたびにデータの先頭へ飛ばされる悲惨なシステム。
そしてなんと、ここまでの長文は全て、逐一HTMLに直接書き込んでいるのである。タイムラグはそれゆえ。
正式公開版よりも前のベータ版、よりも作りかけのアルファ版、よりも作り立てホヤホヤ。
そんな意味を込めて、当サイトは「Minus Alpha」と名付けられた。
私がこうまでして創作を焦り不完全をよしとした理由は大きく分けて二つある。
一つは、昨今のSNSへの(より明確に言うなら他人のサービスへの)不信感が、私の中にも芽生えたため。
もう一つは、想定よりも早く自我の探求が進んだため。
である。
……とまあ、そんやかんやで、私は私の人生さえも創作物として、実験的に扱おうと言うのである。
『佐藤晃亮のデータログ』とは、言わば私の実験場なのだ。これからも少しづつレイアウト等をいじっていくぞ。
さあ、ここまで下書きがあるのにもかかわらず1時間駄弁り続けたわけだが、今日が休日であるのを良いことに、まだまだ徹底的にデータを残す用意があるよ。
13時頃、ドメイン名『float-man.com』の由来説明
16時頃、ガイハラスの今後の扱いについて
19時頃、ケーキを食う。
ではまた後程。
スマホで更新ボタンを押してもデータ先頭に飛ばされないことに今気が付いたぞ。あれ、スマホで見るのは推奨しないって言っちゃったけど。
ドメイン名の由来ですか。そんなに長々と語る予定は無いですからご安心を。
私がかねてより進めてきた自分研究のテーマの一つ、「己の居場所とは」についてです。
どうも私は、どこに居ても良くどこにも居なくても良い存在なのではないか、との仮説が生まれました。現時点でそう感じているだけでありますが。
しかし何と説明して良いやら、残念ながらこの仮説をまだ言語化できておりません。
個を明確に認識しつつも、特定の居場所だけが見つかっていない点を「浮かんでいる」と仮に表現することに留めています。
その上で、このMinus-Alphaに作るにあたって取扱いに苦労したfloatタグとなぞらえて、浮かび漏れた人、浮漏人(ふろうと)、float-man、などと繋げていきました。
なんだかよく分からないでしょう。ええ、私もまだよく分かっておりません。
とはいえ、float-man.comというドメインはこうして私を指す固有の英列となりました。
この世のどこかに同姓同名の人はおり、佐藤晃亮は私だけを指定することはありませんが、このドメインによって、このfloat-man.comという”居場所”を獲得することによって、
ここにいる私は少なくとも私だけであると言い切ることが可能になったのです。
つまり、佐藤晃亮とfloat-man.comをセットで、私の確立と言えます。
つまり?
以上です。
ではガイハラスの今後の扱いについてです。
これからは「ガイハラス」のことを「佐藤晃亮の自我分離体」と呼称し、存在を容認いたします。
『彼が残した数々の言葉は、決して私の物とは断定できないものの、かつて私の中にあった自我であると推測され、
つまり佐藤晃亮から分離した自我がガイハラスとして新たな個体を形成した。』
とします。また、
『その上で、彼には「創作修行」をアイデンティティとして与え、今後も活動してもらうことにした。
これまでの微々たるネームバリューを捨てるのは勿体ないし、
なにより、各シリーズのコンセプトの継続性の象徴としてガイハラスの名は存続させるべきだ。』
と、いうことです。
ガイハラスからザッハトルテが届いた。
私と言えば苺ショートケーキだろうと言いたくもなるが、昨年度の彼を状況を見ればいろいろと察する物もある。
このデータログの欠点と言えばやはり、いちいちパソコンを開かねばならないことでしょうか。
少し前、これの作業のために小さいノートパソコンを導入する案が出ましたが、
私がus配列キーボードを欲し、homeボタンとendボタンがコーディングに重要であると分かったために、ベストバイが決まらず頓挫しました。
だからWebアプリにしろとあれほど。
それはそうと、昨日は朝の一杯の青汁とケーキしか胃にいれておりませんでしたから、本日は空腹の朝を迎えました。引っ越し当初の腹の感覚に似ており懐かしさをおぼえました。
あの頃と言えば、冷蔵庫が無くガスコンロも無く、とりあえずカップ麺でも食うかと思ってお湯をどうするか悩んで、電子レンジでなんとかしてみようと思い立ち、出来上がったのはぬるま湯で、
それで作ったカップ麺は少しパリパリで、しかし新鮮な感覚でありだなぁなんて感じたりしておりました。その当時の空腹感です。
うわ、シャンプーとコンディショナー間違えて買いよったでこいつ。
旧友に近況を報告した。その問答をここに記録する。
Q:創作活動は、将来的にどこをめざしているのか。
A:さあ…?
Q:未定なのか。
A:不定である。
Q:何かしらにはなるのか。
A:何かしらにはならず、私たらしめるのである。ゆえに「定まらず」ではなく「定めず」とした。
Q:つまり、自由という事か。
A:そういう表現も可能だ。
個々の回答がつくづく回りくどかったり断定を避けているのはつまり、自分自身に嘘をついていない証拠である。
まだまだ私は私を知り得ていないので、上記の回答は私の現状を端的に表していると言える。
記録する価値のある問答であった。
『実名で憚られることを匿名で躊躇わず話す』ことを、仮にダサ苦しい行為としたとき生まれる二つの選択肢。
一つ、どちらでも憚り話さない
一つ、どちらでも躊躇わず話す
今後私は後者を主軸にしてみようと思う。
もちろん、どちらでも憚られる内容はどちらでも話さない。
例えば//※憚り伏字※//とかね。
掛け時計が随分かたかたと賑やかだと思ったら、電池が残りわずかだったようだ。
電池を入れ替えたら、今度は元気こそあれ規則正しくカタカタと鳴り出した。許す。
ガイハラスが私のことを「本私」と表現しているが、これは「本当の私」ではなく「本質的に最も私」を意味する。
なぜなら彼は「偽物の私」では無いからだ。彼もまた「私」であり、私もまた「私」であるからだ。
私から自我が分離しても、その自我は「私」であり、自我が別の個体を形成しても、それの本質は「私」である。
これ以上設定を複雑にするな
右下3番の歯で下唇を噛んでしまうのをいい加減なくしたい。頻度が高すぎる。
お菓子の箱のこういう差し込みギミックがあるじゃないですか。大抵は食べきるまでに1、2回しか使いませんよね。今回は0回です。
これでローリング☆ガールズのスピンオフ本がまたも揃った。
実家のキッチン前の床に、たしか床下収納があったはずなのだ。しかし私は一度もそれを開けたことが無いので、もはや存在さえ疑っている。
次帰省した時はいの一番に開けてやる。玄関よりも先に開けてやる。まさか実家は床下(しかも2階!)にあったのか。
玄関入って、2階へ上がって、キッチンの床下収納の扉を開けて、その先にある家が実家だったのか。
つまりかつての私は、いったい何処に住んでいたと言うのだ?
現在「『ワーカーズハイ』と『クリエイターズロウ』に因果関係はあるのか」を探っている。
ここのところ、2週連続でこの二つが発生しているのだ。
月末および月始に『クリエイターズロウ』が起こりやすいのはかねてより判明していたが、対して『ワーカーズハイ』の発生原因は未だ掴めずにいる。
ちなみに休日の今日に関しては、『クリエイターズロウ』を無理矢理蹴り飛ばしている。そうでもしないと一日を使いきれないのだ。
しょうもないことであれなんであれ、毎日データを残すことによって、右のカレンダーHTMLを更新しないで済むという利点がある。
さきほど、NHKから委託されたどっかからの刺客に対し、受信機の不所持を冷静に伝えた。
この日をどれだけ待ったことか。1年半ぐらいだったかな。
これは我が家に潜入した植物の根性の塊、冠毛を得た種子である。
部屋の中にいても私のような厄介者が育つだけなので、このあと彼をベランダへ案内した。
画像は圧縮せずトリミングせずなので、別タブを開いて拡大して見ると良い。中央に命がある。
ようやく『ワーカーズハイ』の魔法が解けて『ミッドロウ』と言ったところ。
ついでに『クリエイターズ』も『ミッドハイ』ぐらいになってくれると有り難い。バランスが良い。
現状、因果関係は認められず。
しかし、新たに「『ハイ』の後に『ロウ』が来る確率が少し高いのではないか」との推測が生まれた。
悲しいかな『クリエイターズ』も『ミッドロウ』だ。総合的に活力が足りぬ。
ここで私は、『ワーカーズ』及び『クリエイターズ』が共に『ミッド』を下回り、かつ、こうして活力不足に陥っている状態を、
『アライバーズロウ(Aliver's Low)』と名付けて管理することにした。
この語句は『生き長らえし者の惰力』と訳され、
『運よく生き長らえた身でありながら、怠惰に過ごしていて良いのか』という私自身に対する警告の意味が含まれている。
私はこのようになんでもかんでもオリジナルの名称で己を管理することが好きなのだが、これにはちゃんとしたメリットがある(とされる)。
現在の活力不足に名前が無ければ、ただの鬱傾向とみなされて、主観的に悲観的に解釈してしまうことだろう。
しかし名前を付けることによって、一つの生理現象として捉えることが可能になり、客観的に達観的に見据えることができるのだ(多分)。
そしてまた、次また同じような状況に陥った時、「ああこれは『アライバーズロウ』なんだな」と認識することで、経験則に基づいての対処が可能となる。
……はずだ。少なくとも私はこうやってポジティブを維持している。
今回の『アライバーズロウ』がいつ終わるのかは知らないが、次発生した時もこのデータログにちゃんと書き残す予定だ。
それを繰り返せば何かしらの周期なり原因なりが見えてくるのではないかと思う。
それはそうと、『ワーカーズ』の響きは好きだが『クリエイターズ』の響きは冗長であまり好きではない。何か別の呼び方は無いものだろうか。
そもそも『クリエイター』という英単語の響きが好きではない。私は『創作家』と呼ばれたいのだ。
こうなると『創作家』の新たな英訳を考えねばならないわけだ。
ああ全く、相変わらず私は造語づくりに余念がないな。
私史において最も有名かつ初めての造語といえば『傾頭(けいとう』である。
頭を傾けスマホに熱中(すなわち傾倒)するようすからこの単語は生まれた。
名詞として『傾頭者』などと用いられるほか、『傾頭する』というサ変動詞として扱うこともできる。
今『傾頭』の起源をガイハラスのTwitterから探っているのだが、どうもツイログに記録されていない時期らしい。
おかしい、使っている形跡はあるのに思い付いた直後のツイートが見当たらない。ほら、やっぱり他者のインターフェースなんて信じちゃいけないんだ。
で、どうも2017年4月らへんから使われているようなのだが、ええ、そんな前からでしたっけ。
いや確かにその頃だ。電車通学を始めたことでその間にツイートしまくろうとなって、他者と同じくスマホに熱中する私を揶揄すべく、
わざわざ毎回「スマホをいじっている」と表現するのは面白くないからと、この単語が生まれたはずなのだ。
その頃には毎日のようにツイートしていたはずなので、どうもTwitter社に消されたらしい。喧しいぞこの野郎と消されたらしい。
しかーし!こうしてデータログに刻み込んでやったからな!もう私における真実だぞ!
『アライバーズロウ』からひとまず脱却できたようだ。
生活周期の臨時的変更が、脱却に一役買ったのではないかと推測される。ここ数日間に、ド深夜に作業をしていたのがそれだ。
4時に就寝するようにしていたがしかし、普段アラームを鳴らしていた8時半ごろにほぼ確実に目が覚めてしまうために、毎回意図的に二度寝をするハメになったのである。
もうInterlace alarmが私の身に染みついているのだなぁ。
『HG正楷書体-PRO』のフォントが無い環境でも表示が乱れすぎないような調整を行った。
今朝は久々にアラームを鳴らした。
……が、その1時間前に目が覚めたことは内緒である。
こうして私のとある一日は、宅配寿司跡の処理にて完結するのである。
うそ。ホントは収支表の入力やらポプマスやらがある。今日は寝るまで終わらん。いつだって、寝るまで終わらんのが一日なのである。
すきっ腹に寿司を落とし込んだことで、私は今食い足りないのか程よいのか分からずにいる。
今日はこれから『銀河機攻隊マジェスティックプリンス』を一気見することにしました。実にリアルタイムぶりなので、とてもワクワクしております。
あの頃は布団の中でスマホで視聴しておりましたね。
残り半分を明日、映画を明後日見る予定です。ほんとはいっぺんに見るつもりだったんですが、眠気が邪魔をしました(当たり前)。
切れていると思ってフライパンにぶちまけた味付け加工肉が切れていなかった時の対処法はありません。そのサイズのまま食うだけです。
それはそれとして、本日『服装・準統一プラン』なるものが提示されました。
私は機能性皆無なスーツ一式がとても嫌いなのですが、その中で唯一、ワイシャツだけは気に入りました。
とりわけ、腕まくり時にずり落ちないなどの偉大なメリットを見出しました。
そこで、何するにせよ、どこへ行くにせよ、上はワイシャツを基軸にしようというのが、当プランの概要です。
コーディネートの手間を省くべく、真っ白のワイシャツをベースにズボンやジャケットを合わせるプランです。
ふざけています。
ノンアイロンシャツを用いることで、洗濯時の手間も省きます。
唯一の問題は、店に在庫が無いことです。ユニクロのネット通販ではセミワイドカラーしか無いようです。
現在、仕事用に着まわしている物が2着ありますが、それがレギュラーカラーだったかセミワイドカラーだったか分かりません。
というか、見た目的な違いがまるっきり分かりません。
まあ、スーツジャケットを合わせる気は無いのでどちらでも良い気がしますが。あ、ボタンダウンは許しません。
さて、ゴールデンウィークの破壊が決定し、のほほんとした休業要請により行き場を失った人々がスーパーに雪崩れ込む(もしくは既に雪崩れ込んでいる?)ことが推察されます。
いっそのことスーパーをサイレント休業して滅茶苦茶になる社会実験が見たい。
で、それに対抗して休業しないハイパーマーケットが出てきて云々……
私の次回出勤は明日なので。普段は比較的静かな日曜日がどうなるか、めっきり見当もつかないもので。
例の『服装・準統一プラン』が成立すると、上が真っ白いワイシャツ、下が作業着屋で購入したズボン、の組み合わせが基本形となる。
これは、私の理想の分裂を端的に表していると言えよう。
私は本来、もっと真っ当な生き方を選び、真っ当にホワイトカラーかブルーカラーの生活に落とし所を付けるはずだった。
しかし今の私と言えば、そのどちらにも着地せず、即ち『float-man』と化している。
手厳しく言うなれば、『どっちつかず』である。
報告
ワーカーズ:ミドル
クリエイターズ:ロウ
ふと、旅行をしたくなりました。主目的は旅ではなく宿泊です。秘密基地とも事務所とも言われた我が家から、たまには離れる時間も必要だと考えます。
予算は昨年度末にへそくりにした余剰資金の余剰資金で工面するとして、時期は多分6月頭に有給休暇を行使したいです。問題は場所です。行くアテがありません。
今朝の夢の中において、我が家のスクエアディスプレイは売れてしまった。レジ画面として使用しており、夫婦の客が数万円で購入した。仕入れは数千円なので大儲けだ。
しかし、梱包用の段ボールと発泡スチロールのセットを渡しそびれて後悔している。
いや待て、なんで我が家を店にしているんだ。
その直後に私は目が覚めたのだが、まだ布団から出るには早かったので二度寝した。そして二つ目の夢を見た。
しかし残念なことに、私の知人が多数登場するタイプの複雑で繊細な内容であったので、既に忘却してしまった。
夢というのはリアルであればあるほど覚えにくくなるものだ。勿体ないといつも思う。
現場の声。
予算に余裕があればやけ食いしてましたね。
と、食パンを貪りながら、食パンは朝食向きではなく間食向きだと感じる深夜。
報告
ワーカーズ:ミドルハイ
クリエイターズ:ミドル
ここから先はスクロール表示調整用の空白地帯。
カレンダーから当月最後のデータを表示したとき、
ページが動かないようにするためのスペースである。
これの有無がサイトの見やすさを左右するのだ。
すなわち、あなたはこんなところを見ている場合ではない。
あなたにはやるべきことがあるはずだ。
言っておくがここにこれ以上面白いことは書いていないぞ。
私の車が大破した。
オーマイカー!
私は三菱GTOが好きだ。
ここはスクロール表示調整用のページ端です。